冨山陽平のブログ🤗

中央大学で国文学を学んでおります。ゆる~~く続けていくつもりです。暇な時に見てくださいな

やっぱり教育者でありたい

気付いたら家にあるコーラを探してる冨山ことデブです。

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さて、今日はまた教育について考えていきたいと思っています。

今日の議題は

「教育のゴールとは何か」です。

 

教育者はなにを目標に教育していくべきなのかという話です。

これはこれまでの記事でも言ってきていますが、僕は教育のゴールは『自立』だと思っています。

 

この『自立』には精神的自立や経済的自立どちらも含みます。

「自分の行動、自分の価値は誰がなんと言おうと、自分が決められる」

という意識を持ってもらうことです。

 

これは教育をする上で必ず教育者が持っていなければいけない教育の理想、ゴールだと思います。

 

なぜならばもし教育者が『自立』というゴールを見失ってしまったらその瞬間に「教育」は「支配」に変わってしまうからです。

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「あなたがいなければなにもできません」という教育者に依存した人間を作り上げてしまいます。

 

その状態で社会に出すのは教育者としてあまりに無責任であると僕は思います。

 

当然生徒(子供)のその先の人生まで保証することはできませんから。

 

「教育」が「支配」になってしまったら、常に生徒(子供)を自分の下に置いていたら、教育者以上の人材はそこからでてきません。

 

僕の父親は小学校の教員をやっていますが、父親の担任学級の卒業アルバムで担任からのメッセージ欄に「冨山という山を越えてみろ!!」と書いていました笑笑(#変人)

 

きっと父親と僕の想いは同じだと思います。

 

「先生のおかげで合格できました!」とか「先生のおかげで卒業できました!」って言わせる先生はまだまだダメだと思っていて、生徒が自分の力で合格(卒業)できたと思わせる先生になりたいです。

 

(昨年度も塾で「私の合格は全て先生のおかげです!!」と。ある生徒から言われて嬉しかった反面、これじゃあダメなんだよなぁ…なんて考えていました)

 

自分らでやらせる。という教育は時間もかかるし、上手くいかないことの方が多いので、絶対に全部指示を出してその通りに動かした方が楽です。

 

それに子供たちが何か失敗したとき、他人に迷惑かけたとき、教育者にも一定の責任が問われます。

教育者として。監督者として。親ならば親としての責任。

 

その責任を回避するために1番手っ取り早いのは

子供を支配して、子供たちに挑戦を許さず、あの手この手を駆使して無難で、怪我をしない道ばかりを歩かせる。

 

子供たちを心配して。ではなく、その裏にある本音は自らの保身のため。ではないでしょうか?

 

社会を1mmも経験してない若造がこんな生意気言ってすみません。

 

でも僕は『挑戦する』生徒を積極的に応援したいので、自分のエゴで生徒を縛るようなことはしたくないです。

 

こんな偉そうに語っていざ教壇に立ったときに「やっぱり行動を束縛したほうがいい」とか言ってるかもしれませんが笑

 

結局、実際に行動してるかが全てなのでまずは僕が完全に自立して、自立のメリットを伝えられるようにしたいです。

 

そのために一人暮らしーー。。。金クレェェ。。

 

 

明日は僕の教育論の軸にあるアドラー心理学の考え方の一つ。「褒めてはいけないし、叱ってもいけない」について書こうかなと思います!

 

 

 

 

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