馬を水辺に連れて行くことはできるが水を飲ますことはできない。アドラー心理学に学ぶ教育の本質

 

 

最近風邪ひいたのか鼻水と咳とくしゃみが止まりません🤧

 

 

部活も2日くらい休んでるし大変だ😭😅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日はアドラー心理学についてご紹介しようと思います。

 

前回は目的論について触れました。

 

前回記事↓

大事なことは何が与えられたかではなく与えられたものをどう使うか - とやうぇいのブログ

 

 

 

 

今回は"嫌われる勇気"というタイトルの元になってる考え方。課題の分離について触れていこうと思います。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

人の期待を満たす必要はない

 

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アドラー心理学は他者からの承認欲求を否定します。

それがたとえ自分の親であっても「あの人に認められたい。。。」と思って生きる生き方は健全ではないと考えます。

 

 

 

 

理由は、他者の評価を気にして生きていたら自由に生きれないから。

 

 

 

 

 

人生一度きりなんだからどうせなら他の人じゃなくて自分が満足する人生を歩みたいですよね。

 

 

 

 

承認欲求はいけない、他者の期待を満たしてはいけない。

 

 

じゃあ、傍若無人に振る舞えって言ってるのかというとそういうわけでもありません。

 

 

 

 

ここを理解するためには「課題の分離」という考えを知らなければいけません。

 

 

 

 

 

 

 

 

課題の分離とは

 

 

 

例えばこんなシーンを想像してください。

 

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親が子供に

「勉強しろ!おら!!」

って怒鳴りつけてるシーン笑

 

 

 

アドラー心理学的な考えではこの親の行動は

不適切だと考えます。

 

 

 

理由は

勉強するかしないかは子供の課題であって親の課題ではないから

 

 

 

 

こうやって目の前の課題を

「これは誰の課題なのか?」という視点から自分の課題と他者の課題を分離していく必要があります。

 

 

 

 

分離して、

他者の課題には踏み込まない。自分の課題には踏み込ませない。

これが課題の分離です。

 

 

 

 

 

ありとあらゆる対人関係のトラブルはこの課題の分離ができてないことが原因で引き起こされますよね。

 

 

 

 

 

 

 

俺もお母さんと喧嘩するときそうだもん笑

 

 

 

 

「なんで俺の持ち物に勝手に名前書くんだよ!!ふざけんな!ぶっとばすぞ!!」

 

 

 

 

なんてよく言ったものです笑

 

 

 

 

これは僕のお母さんが僕の課題に踏み込んできた。

僕が踏み込ませてしまった。ことによって生じたトラブルですよね。

 

 

 

 

課題の分離さえできていればこういうトラブルにはならないんです。

 

 

 

それがなかなか難しいんですけどね😅

つい介入しちゃう気持ちも分からなくもない😅😅

 

 

 

 

誰の課題かを見極める方法

 

 

この課題の分離の話をすると大抵考えられる反論は

「どうやって誰の課題なのか決めるの?」

 

といったものです。

 

 

これは実に簡単です。

 

最終的な結末を引き受けるのは誰か?

って考えればいいんです。

 

 

 

もし子供が勉強しないという選択をしたときにその決断によってもたらされる結末。例えば成績が落ちるとか大学行けない。とか。。

を最終的に引き受けなければいけないのは親じゃありません。

 

間違いなく子供です。

 

 

 

すなわち勉強は親の課題ではなく子供の課題ということになります。

 

 

 

 

教育者にできるのは援助のみ

 

勉強が子供の課題で他者の課題に踏み込んじゃいけないなら放任しろということか。というとそうじゃありません。

 

 

 

 

 

放任とは何をしてるのか知らない、知ろうともしない態度です。

 

 

 

 

 

そうではなく、子供が何をしてるのかを知った上で見守ること。

 

 

 

 

 

勉強が子供の課題でありこちらも援助できる用意があることを伝える。

 

 

それだけです。

教育者にできるのはそこまでなんです。

 

 

 

 

頼まれもしないのに、あれこれ口出しをしてはいけないのです。

 

 

 

 

僕の母親も頼まれもしてないのに勝手に僕のシス単に名前を10個くらいいろんなところに書いて僕と大喧嘩しました笑

 

 

 

 

 

 

こんな極端な例は少ないかもしれませんが、考え方として他者の課題に踏み込むとトラブルになるということはお分かりいただけたでしょうか?

 

 

 

 

 

無論、精一杯の援助はするけれどその先までは踏み込まない。 援助まではしてもそれをやるかどうか決めるのは本人ということですね。

 

 

 

 

本人の意向を無視して変わることを強要したところで後でカウンターパンチ🤛くらって終わりです笑

 

 

 

 

 

イギリスのことわざにこんな言葉があります。

 

「You  can  take  a  horse  to  the  water, but  you  can’t  make  him  drink.」

 

 

訳すと

馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ますことはできない

 

 

 

結局自分を変えられるのは自分しかいないんですね。

 

 

 

ここに教育の本質があると僕は中学生の頃に

『嫌われる勇気』を読んだ時から感じています。

 

 

 

課題の分離。いきすぎると危険な考えなのかもしれませんが、教育を考える上で大事な考えなんだろうと思います。

 

 

 

 

まとめ

 

対人関係で大事なのは課題の分離。

あなたは他者の期待に応える必要はないし、

同時に他者もあなたの期待に応える必要もありません。

 

 

 

 

「私はあなたにこれだけのことをしたのに!」

 

なんていうのは間違ってるってことです。

 

 

 

援助は常にGive & Giveということなのかもしれません。

 

 

 

見返りを求めんなってことですね。

なかなか難しい考えではありますが大事なことだと思います。

 

 

 

あ、でも自分が求めてた援助してもらったときに感謝しなくていいということではないので誤解無いように😜🙏

 

 

嫌われる勇気気になったら是非読んでみてください🙏

この記事の1000倍は分かりやすく、他にもいろんな衝撃的な考え書いてあります。

 

中学生のガキの俺が読んでたくらいだからそれだけ分かりやすくて読みやすい本ってこと!

本読まない人でも抵抗なく読めると思いますよ👍

 

是非本屋へGO👣

 

 

 

 

 

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